田中城は徳之一色城という今川方の城を永禄13年(1570)信玄が攻め落とし、馬場美濃守に改修させて名を改め、駿河支配の拠点としたのが始まり。

駿河・遠江の支配をめぐって武田VS徳川の攻防が繰り返されるが、天正10年(1582)江尻城の穴山梅雪の寝返りにより孤立し、開城。関ヶ原の翌年、酒井氏により総郭が拡張され、駿府城の出城としての役割を果たした。

以降、徳川の城となり、12氏21名の城主が在城し明治維新を迎えた。

通称、呼び名 亀甲城、亀井城、徳之一色城
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 二層二階
築城主 今川氏
築城年 天文6年(1537年)
主な改修者

山県昌景

主な城主

今川氏、一色氏、武田氏、本多氏

遺構

石垣、水堀、移築櫓他

指定文化財

なし

周辺地図





みんなのレビュー