砥石城は奥信濃を支配する村上氏の最重要拠点であったため、信濃攻略を始めた信玄に2度に渡って攻めこまれた。
2度目の戦いでは砥石城の堅牢さに攻略をあきらめ退却を始めた武田軍に凄まじい追撃をしかけ、村上軍は千余の兵を討ち取る大勝利を得た。信玄に「当家の凶事なり」と言わしめたこの戦いは「砥石崩れ」と呼ばれる。

砥石城は「米山城」「枡形城」「本城」からなる複合城郭。どこかが攻められても他の郭から敵を撃退に行ける構造になっている。

通称、呼び名 戸石城
城郭構造

山城

天守構造

不明

築城主 不明
築城年

不明

主な改修者

村上義清、真田幸隆、真田昌幸

主な城主

村上義清、真田幸隆、真田昌幸

遺構

なし

指定文化財

県指定文化財

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