皆川城は標高147mの山に作られたお城で、その形状から別名・法螺貝城とも呼ばれます。
1230年頃、小山宗政の孫にあたる長沼宗員が下野国都賀郡皆川荘に居館を構えて皆川氏を名乗り、
この地を支配しますが、鎌倉の執権北条高時に背いたことにより、一時断絶してしまいました。

しかし室町期になると奥州に移っていた長沼秀宗が下野に戻り、その子、氏秀の頃には
皆川庄を本拠と定め、再び皆川氏を称します。第二次皆川氏と呼ばれ、皆川城を築いて
七代が居城し関東の勢力争いの中、ずぶとくしたたかに戦国時代を生き抜きました。

通称、呼び名 法螺貝城
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 皆川氏
主な城主

皆川広照

遺構

土塁 曲輪

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