徳川家康の関東入国に際して伊奈忠治が関東郡代の名跡を継承し赤山7千石で陣屋を構えた。
父忠次が武蔵小室に構えた陣屋は岩槻城の支城を再利用したものであり、赤山陣屋も新しく構築した陣屋ではなく古城を修築した可能性がある。


堀は大部分が保全保護されている為自然感が無いものの、一部現存部分もあります。

敷地内とその周囲至る所に説明版があり、且つて一帯が赤山陣屋であった事が解ります。

通称、呼び名 赤山城
城郭構造 平城
天守構造 無し
築城主 伊那忠治
築城年 1629年頃
主な改修者

伊那氏

主な城主

伊那忠治

遺構

郭、土塁、空堀

指定文化財

県指定史跡

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