苗木城 /
苗木城は諸説あるようですが、文元年(1532年)遠山直廉により築城されたと言われています。
本家の岩村城、明智城、そしてこの苗木城で、遠山三人衆と呼ばれていました。
直廉は織田信長に仕えていましたが、本家の岩村城が武田軍に降伏したことから武田に寝返り。
敵となった織田方の三木次郎左衛門との合戦で負傷し、その傷が元で死亡します。
信長は飯羽間城城主で同じ遠山氏の遠山友勝に苗木城主を命じ、友勝の死後は子の友忠が入って
最前線である苗木城の防衛にあたりますが、本能寺の変で信長が斃れると遠山氏は徳川方につきます。
一時は城を追われるもの関ヶ原の後に城主に返り咲き、12代続いて明治維新を迎えました。
城の概要
通称、呼び名 | 霞ヶ城 赤壁城 |
---|---|
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 遠山直廉 |
主な改修者 | 遠山氏 |
主な城主 | 遠山氏、森氏、川尻氏 |
指定文化財 | 石垣、堀、井戸 |
インフォメーション
周辺地図
みんなのレビュー
Facebookでレビュー!

レビューを書く