要害山城 / 山梨県


この記事は2014年4月12日カルビン様に投稿して頂きました。

躑躅ヶ崎館を築いた武田信虎がその翌年に詰め城として築いた城。今川氏の武将・福島正成が甲斐に侵入した為に信虎は夫人大井氏を躑躅ヶ崎館から要害山城に移している。

その際にここで武田信玄が誕生した。


城址攻略はキツイものの、ちゃんとした山道があるのでそこまで危険はありませんでした。

結構な規模の遺構がしっかり残っているので、お城ファンの方なら確実に満足できると思います。


城の概要

通称、呼び名 積翠山城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 無し
築城主 武田信虎
築城年 1520年
主な改修者

武田勝頼、加藤光泰

主な城主

武田氏、徳川氏、加藤光泰

遺構

土塁、郭、虎口、堀切、竪堀、石積、井戸

指定文化財

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