久留里城 / 千葉県


この記事は2019年2月 9日たぬきち様に投稿して頂きました。

久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれた山城(古久留里城)で、以降は信長の子孫である真里谷氏が支配した。戦国時代には真里谷氏は衰え、代わって里見氏の拠る所となり、里見氏によって再構築され(新久留里城)、佐貫城と共に対北条氏の最前線を担った。その後、江戸時代には久留里藩の藩庁として再整備され、酒井氏の加増地となった17世紀末から18世紀半ばを除いて、近世城郭として明治維新まで維持された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

現在は模擬天守が建っている。


城の概要

通称、呼び名 別名「雨城」、「霧降城」、「浦田城」
城郭構造 連郭式山城
天守構造 2重
築城主 武田信長
築城年 1456年
主な改修者

里見義堯、黒田直純

主な城主

上総武田氏、里見氏、後北条氏、大須賀忠政、土屋忠直、黒田氏

遺構

土塁、堀切、曲輪、土橋、井戸


インフォメーション

電話番号 0439-56-1325
費用

無料



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