伊与木城跡 / 高知県


この記事は2016年5月 9日GOZO様に投稿して頂きました。

一条教房が応仁二年(1468)に幡多中村に入国の後、文明二年(1470)に京都から堀川大炊助藤原信隆を招き、文明十年(1478)に伊与木城を築城した。
 藤原信隆は1200石を給され初代城主となり以来伊与木氏を名乗る。


城の概要

通称、呼び名 伊与喜のフルシロ
築城主 一条教房、藤原信隆
築城年

文明十年(1478)。文明十一年としている文献もある。

主な城主

初代,堀川大炊助藤原信隆=伊与木信隆(1478-1510)
第2代,伊与木対馬守家実(=伊与木対馬守宗実)(1511-1540)
第3代,伊与木玄蕃隆祐(1540-1571)
第4代,伊与木対馬守隆康(1571-1586)
第5代,伊与木弥平次忠実(1587-1592)
第6代,熊井勘解由(伊与木家旧臣)(1592-1598)
第7代,伊与木新助実能(1599)
第8代,伊与木玄蕃隆直(1600-1601)


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