伊与木城跡 / 高知県
一条教房が応仁二年(1468)に幡多中村に入国の後、文明二年(1470)に京都から堀川大炊助藤原信隆を招き、文明十年(1478)に伊与木城を築城した。
藤原信隆は1200石を給され初代城主となり以来伊与木氏を名乗る。
城の概要
通称、呼び名 | 伊与喜のフルシロ |
---|---|
築城主 | 一条教房、藤原信隆 |
築城年 | 文明十年(1478)。文明十一年としている文献もある。 |
主な城主 | 初代,堀川大炊助藤原信隆=伊与木信隆(1478-1510) |
一条教房が応仁二年(1468)に幡多中村に入国の後、文明二年(1470)に京都から堀川大炊助藤原信隆を招き、文明十年(1478)に伊与木城を築城した。
藤原信隆は1200石を給され初代城主となり以来伊与木氏を名乗る。
通称、呼び名 | 伊与喜のフルシロ |
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築城主 | 一条教房、藤原信隆 |
築城年 | 文明十年(1478)。文明十一年としている文献もある。 |
主な城主 | 初代,堀川大炊助藤原信隆=伊与木信隆(1478-1510) |
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