稲井城(姫内城) / 愛媛県
稲井(いない)城は越智大島の火内鼻半島に築かれた丘城で、村上水軍の拠点であった。永徳4年(1384年)脇屋義助の子である脇屋義治は能島に到り、1393年に脇屋義治の子、助盈(頼國)は村上師清(もろきよ)より稲井城、別名:姫内(ひない)城を受け継ぎ姓を稲井と改めた。稲井助盈(頼國)は、村上三郎ともいい村上水軍の第二家老へ、新田義宗の子、義處は姓を救井に改め村上水軍の第一家老となった。
現在、越智大島にある稲井城は公園になっていたが、しまなみ海道建設時の工事によって取り壊され、山頂の一部に城跡が残されているのみである。
城の概要
通称、呼び名 | 稲井(いない)城、姫内(ひない)城、火内(ひない)城 |
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主な城主 | 稲井助盈・頼國(村上三郎)、稲井助富・頼康 |
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